Monday, December 21, 2009

ランドリーについて

ランドリーというドラマを見るのは忘れられない経験だ。あの世界によく感動されたと思う。

一番好きな人はもちろんテルだ。頭がちょっと弱いんだが、他の普通の人より愛をよく分かって、人生を楽しくしている人だ。と言うのは、自分は思った通り話して、うそがぜんぜんできないから、他の人は自分と同じなようにしていると思う。だから、テルにとって、世界は他の人よりよほど簡単になるだろう。テルは水絵に結婚しようと言って、水絵が世界では、結婚することはそんな簡単じゃないと答えた場面に感想がよくある。水絵の話はうそじゃないんだが、テルにとって、大人の世界は複雑すぎるだろう?いつも子供のように生活をして、悲しいか、楽しいか、私は分からないんだ。もし私はテルのようになって、どんな生活を暮らすだろう?現実じゃないんだけど、私は本当によくこんな風に想像している。

その上、サリーは面白い男の人じゃないだろう?ちょっと変で、話しにくい人見たいんだけど、実はとてもやさしい人だ。サリーのかげて、テルと水絵は最後にハッピーエンドができると思う。でも、私はよく考えるのは、サリーはどんな仕事をしているだろう?好きな女の人を見つけただろう?

ランドリーというのは、物理的な意味と同時に、精神的な意味もある。でも、汚したことは清潔になれかどうか、難しい問題だろう?一般的な人生なら、清潔にするのがそんな簡単にできることはないと思う。でも、忘れてしまったんだか、わすれられないんか、毎日、毎日、人生は進まなければならないだろう?時間は一番すごいので、私にとって、人生でいつまでも楽しくしていることが一番大切だ。

Saturday, December 5, 2009

一番ドキドキした話:会わなかったお母さんとお父さん

  この夏休み、私はPIIの学生で、二ヶ月金沢で日本語の勉強して過ごした。5月29日に、私は飛行機に乗って、中国の近くにあるが、行ったことがぜんぜんなかった日本に行った。そして、8ヶ月だけ日本語を勉強して、とても簡単な日本語が話せるので、興奮したり、緊張したりする感じが言いにくい。日本で、何が、誰が私を待っているの?ニューヨークから13時間飛行機に乗ってから、大阪に乗り換えて、金沢に4時間くらい電車で到着した。そんな大変な旅行の中で、とても眠いけど、色々な想像や、心配やなどが心の中で回っているから、ぜんぜん寝られなかった。金沢は、一体どんなところだろう? PIIの先生と学生はどんな人だろう?やさしいか?やさしくないか?この二ヶ月の間に、たくさん難しい問題があるだろうか?家族や、親しい友達や、よく知っている先生、誰も私の近くにいたいから、自分はそんな問題を解決することができるか?

  その上で、一番心配した問題は、私のホストーファミリーはどんな家族だろうかと言う問題だった。子供のとき、父と母がいなかったとき、近所の友達のうちに二、三日住んでいたことはあった。そして、高校生と学生のとき、親しい友達のうちに休みを過ごすこともあった。けれど、知り合いだし、、若者なら何でもよかったから、不便なところもあるが、大丈夫だと思った。しかし、今この問題のほうがよほど難しかった。まず、子供と違って、今大学院生の大人になって、ぜんぜん知らなかった人と家族のように一緒に生活を生きることにとても慣れにくいと思った。次に、私は一人の子だから、ずっと父と母だけと一緒に住んでいたから、なかなかどうやってほかの人と話すのがあまり分からなかった。その上、今外国語の問題もあるので、もっと大変だと思った。そんな風に、私は寝ないで心配しながら、金沢に着いた。

  翌日、朝御飯の後で、学生はみんな会議室の外で待っていた。名前を先生に呼ばれると、会議室に入って、ホストーファミリーに会ってから、うちに連れて行かれてもらった。あのとき、私は私たちが幼稚園のドアの前にお母さんとお父さんを待っている子供たちみたいだと思って、ちょっと自分で笑っていた。同時に、複雑な気持ちを持っていた。一方のは何かを初めてするとき、新鮮で、好奇心を持ったの、もう一方のは自分じゃなくて、自分以外の人が決めるようになったの。私が廊下でうろうろしながら、誰の名前を呼ばれたら、私の掌で汗が出た。

  ついに、私の番だった。私はできるだけ緊張しないように入った。私が思ったより違って、私のホストーファミリーじゃなくて、ホストーファミリーの友達の山本さんご夫婦が迎えにきた。と言うのは、私のホストーファミリーは仕事のため、来られなかったのだ。私は緊張の感じが減ったが、ホストーファミリーに会わなかったから、ドキドキしたのが続かなきゃならなかった。

  山本さん夫婦はとても親切な人だから、ゆっくり話したり、電子辞書を使ったり、英語も少しだけしゃべったりしていた。途中のレストランで昼ごはんを食べた。とても面白いのは、私だちは日本料理を食べたが、山本夫婦はピザをおいしいそうに食べた。アメリカと日本の料理について話して、気分がよくなって、楽しくご飯を食べた。

  十分くらい後で、やっと私のホストーファミリーのうちに着いた。車が庭に入る前に、犬たちが大きな声でほえていたのが聞こえた。私がドキドキする間にか、お母さんとお父さんが出て来た。。お母さんがとてもうれしい顔をしたり、「ルーチャン」と呼んだり、私を抱いたりしていた。若者のような自信と情熱を持って、お母さんは私が思ったよりよほど若そうだった。お父さんはあまり話さないで優しく笑っていた。私たちはお母さんの客間でコーヒーを飲みながら、話していた。あまり恥ずかしくなくて、ちょっと古くからの友人のようだった。外は太陽の光りが強いし、広くない客間に大きな声で笑っていたし、犬たちがソファの上で寝ていたし、壁の上は色々な、お母さんとお父さんと世界の学生の写真が貼られていたから、気分がとてもいいと思った。私にとって、初めで日本人のうちに入ることや、初めて父と母以外に、ほかの人をお母さんとお父さんと呼ぶことなど、私が想像したより大変じゃなかった。

  後で、お父さんが私の荷物を持って、お母さんが案内をして、階段を登って、私の二階の部屋に行った。私はやっとベッドの上に、大変なマラソンをしたように座った。とても疲れたが、うれしかった。

  あの日、一番ドキドキ経験があったが、私にとって、一番大切な記憶じゃないだろう。いつまでも私の心の中で新鮮で、大切にしまってある。

Monday, November 23, 2009

私の寮

私が今すんでいるところはコロンビア大学の近くにある寮だ。ちょっと小さいし、家具ガあまりないが、こんな大きな都市のニューヨークで、自分のところガあるから、とても好きだ。

たくさんの学生に違って、私は毎日寮でできるだけ過ごすのが大好きな人だ。と言うのは、私が思った通り、自由と言う気持ちが持つのである。自分が部屋でいるとき、ドアを閉めて、コンピュータの前に座って、コーヒーを飲んだり、本を読んだり、音楽を聴いたり、自分のことをよく思ったりして、気分がすごくよくなっている。窓の外はBroadwayと言うニューヨークの一番にぎやかな道の一つなので、いつもたくさんの人からでも、車からでも、ずっと声が聞こえる。けれど、私は窓の近くに日本で買った風鈴を掛かって、風がふったら、風鈴もヂンリン、ヂンリンのような声でふるようになる。そのとき、私は心から静かになって、何も楽しくすることができる。この部屋は大きくないが、中国のうちからとても遠い距離を持つ私にとって、たいていうちみたい。毎日いくら疲れても、楽しみをもらうことができる。

寮なら、自分の部屋が持てガ、他の人と台所とお手洗いをシェールをしなきゃならないものである。とても違う国や文化からきったルムメトからたくさんの新しいことを習える。たとえば、台所で料理を作りながら、何についても話す。色々な料理を作り方を習ったり、大学の新聞を聞いたり、他の専門の知識を教えてもらったりして、うれしいね。

私の部屋は、私にとって、小さいが、世界と交流するのが始まるところだから、一番大切なところだろう。

Sunday, October 25, 2009

一番ドキドキした話

最近で一番ドキドキしたこと:今学期、TAだから、コロビア大学で大学生に中国文明を教えてあげることがある。初めに英語で教えるばかりじゃなくて、外国人の大学生に教える経験がなかったから、初めのクラス、授業料はうちに忘れて、クラスに遅れてしまったんなので、学生に会って、とても緊張して、恥ずかしいことだった。

今まで一番ドキドキしたこと:この夏、日本に日本語の勉強に行った、ホームーステイをしなきゃならなかった。一度も自分のうち以外、他の人のうちにそんな長い時間で住んでなかったので、今大人だから、ぜんぜん知らなくて、日本語だけ使う日本人に会って、二ヶ月一緒に住んでいることはちょっと怖いと思った。どうしたらいいかはちょっと分からなかったから、心配していたとき、ドキドキしたということがあった。

Thursday, October 22, 2009

日本の夏、いつも忘れられない。。。

今年の夏、PIIで、二ヶ月金沢で日本語の勉強をしてに過ごした。時間があまりたっていないから、あれから三ヶ月過ごして、何度も、何度も思い出した。時々、日本語の授業中、先生が話しているとき、お母さんやお父さんや金沢で日本語の先生や近所の人などの音を聞いていたという幻覚があった。つまり、日本を去ってから、日本語も、日本文化も、長い間知っている友達の様になった。今はまだ日本語が上手じゃないが、中国語と同じように親しいと思うようになった。

日本で色々面白くて、深く感じしたことが多すぎるから、こんな短い文では書けないと思う。けれど、いつまでも忘れられないため、二、三の事を書いて、うれしくなることができるんじゃないだろうか?

私が一番思い出す人はホストーファミリーのお母さんとお父さんだ。一緒に小松に住んでいた。小松はとても小さい町だが、とても静かできれいだ。お母さんとお父さんは特別に大きく、きれいで、庭と野菜園があるうちがある。お母さんとお父さんは一階の畳の部屋で寝ていたが、私は二階の少し小さい部屋で寝ていた。毎朝、7時に一階の台所からお母さんが焼くパンの香りが部屋に入ってきて、お母さんが起こしてもらた。「おはよう」と言って、テレビを見ながら、朝ごはんをいただいた。犬たちも私たちの足の近くで、パンを待っていたように座った。私は金沢で授業があるので、毎日金沢に行かなきゃならなかった。だから、毎日自転車で二十分、電車で三十五分かけていっていた。ちょっと大変だったけど、私は楽しいと思っていた。毎日自転車に乗って、ある小学校を通過しなきゃならなくて、交通を無料に手伝っていたおじいさんに「おはようございます」と言って、感じが一番よくなった。そして、やさしい風が振って、色々な景色を見ながら、駅に行くのが楽しみになっていた。

午後6時くらいに、うちに帰ることがあた。庭のドアの近くにつくと、犬たちは大きな声でほえていた。うちに入って、お母さんとお父さんがうちにいなくても、「ただいま」と言うと、気分がとてもよかった。毎晩お母さんはとても忙しいから、仕事がおそく終わって、急いでうちに晩御飯を作りに帰ってきた。時間があったら、私はいつもお母さんと一緒に晩御飯を作っていた。その日にあった面白いことや、授業のこと、ぜんぜん大切じゃないことについても、よく話していた。日本の料理はとてもおいしくて、作るのはそんな速いのを見て、ちょっとびっくりした。お父さんが戻った後で、三人で朝ごはんと同じように、テレビを見ながら、晩ごはんをいただいた。みんなにとって、一日の中で、一番暇な時間だから、自由に話すことができた。一番楽しかったから、いつまでも続ければ、よかったと思た。

全部は瑣末なことだから、たぶんほかの人にとってはそんなに何度も、何度も思い出し、書くことはちょっと不必要だと思う。でも、私にとって、今のように毎日忙しすぎるが、そんな記憶を持って、ずっと進むことができる。

Tuesday, October 13, 2009

私にとって、携帯電話。。。

八年前に、たくさんの友達に似て、携帯電話を初めて使った。誕生日に、父に初めの携帯電話をもらって、とてもうれしかった。何人にも電話番号を聞いて、携帯電話に入れて、用事があるときも、ないときも、コールをした。あの時、携帯電話は現在より少ないので、電話料がちょっと高くて、短い情報の方がいいと思った。私の町以外の大学で勉強したが、いつでも、両親にも、友達にも、連絡することができるから、とても便利だと思った。

しかし、連絡するのがやさしくなったのに対して、携帯電話を使って、ちょっと話しにくそうに、私の生活が変わった。まず、携帯電話を持って、誰かに思う出すとき、番号を入れて、音が聞こえると、楽しむだった。でも、電話をかけやすくなると、かえって思う出すことが少なくなった。手紙をだんだん書かなかったし、人々に会う機会も減った。そして、短い情報は安くて、早いから、いくらでも送ることができた。何か言いにくいとき、短い情報はとても役に立つと思った。特に、恋人にとって、こんなことがあった。と言うのは、会うのがなくて、あまり緊張しなくて、たいてい話しにくいことが書けると思った。よかったかな。。。けれでも、あんなに短い情報を使って、だんだんつまらなかったと思った。と言うのは、時間がとてもかかったし、よく遠回しに言ったし、ほんとうに思った通り話せなかったから、疲れた。

ですから、あんな考え方を持って、私は一年に電話をぜんぜん使わなかった。生活はよく静かになって、少し寂しいが、ほんとうに気持ちがよくなった。

今はね、まだ携帯電話を使っているが、両親に、すごし親しい友達にだけかけるから、大丈夫だと思う。携帯電話について、私はちょっと変な考え方があるかどうか自分は分からない。でも、自分は楽しむのために、どうな風に携帯電話を使うのは自分が決めることでもある。それから、携帯電話でも、インターネトでも、私たちの生活に入って、深い影響を造成して、色々な変わったことがあるが、いつまでも変わらなくて、大切なことでもあるかも知れないね。

Monday, October 5, 2009

ことわざしよう~~

1.ことわざ「才子、才に倒れる」

2.読み方「さいし、さいにたおれる」

3.意味
そのまま:自分の知識に自信を持ちすぎてかえって失敗することです。

自分の言葉で言い換え:
頭がいい、たいてい他の人よりいい人だから、才子と思う。だから、自分は才を持って、何でもできると思うと、自信が一番持ちそうだ。それから、ことは思ったより難しそうだし、他の人の意見を聞かないし、他の人知らなくて、自分の方法だけ正しいと思うので、失敗することだ。成功のために、いくら頭がよくても、自分の知識を良く使って考えて、謙虚にするようにと言うとき、このことわざを使うかもしれない。と言うのは、人なら、自分はあまり知らないことには、よくしていることにより間違えやすいと言う考えることがある。

4.中国語のことわざでは、そんな意味の言葉もあると思います。「聪明反被聪明误」と言うことわざです。今、英語でも、日本語でも、このことわざを翻訳してみるよ。英語では、a smart person usually tends to fall down at his smartness. 日本語では、聡明な人はたいてい自分の聡明さに自信を持ちすぎて、かえって失敗すると言うことです。

この一つことわざは、日本語の中でも、中国語の中でも、言葉と意味がだいだい同じだ。人なら、同じな経験か問題か会って、同じな考え方もあると思う、面白いと思うよ。