Monday, April 13, 2009

先生のとき

八年前に、私は大学を出る前に、高校でじっしゅうせいの先生になりました。中国文学と音楽を教えたり、いっしょにバスケットボールをしたり、学生とたくさん話したりしましたから、じっしゅうせいで私がいちばん好きです。一か月だけでしたが、とても忘れることができませんでした。特に、私は大学へ帰るまえに、学生はみなで私に送ってくれました。

あの晩、私は教室であったパーティのしょうたいをもらいました。学生がお金を出しあいましたから、私はとても楽しかったです。私はパーティでみな学生が書いて、しょめいがあったあいさつじょうをもらいましたから、とてもかんどうました。あったあいさつじょうで“ション先生、ありがとうございました!いろいろお世話になりました!私たちは先生が好きです。どうぞお元気で”と言いました。そして、きれいな花をくれました。学生と歌をたくさん歌ったり、ダンースをしたり、ゲームをしたり、美味しい食べ物を食べたりしましたから、とてもおもしろかったですね。はんちょうだで、せいせきがいちばんいい女の人は私にかたくほうようをして、高校をでてから、ペキン大学にも入って、私にあいたいと言ってくれました。そして、いろいろな学生は作ったプレゼントをくれて、私を思って、手紙を書いてくれると言いました。わかれことはとてもくるしかったね。でも、みな学生はゆめがじつげんすると思いました。

パーティを終わったら、いっしょに写真を撮りました。いろいろで、若いえがおがあった写真をひぞうました。毎じ見て、学生を思い出して、なみだをながしました。今日まで、みな学生の名前をめいきことができます。時々学生の手紙をもらって、大学の生活をおしえて、いろいろなぎもんをききます。学生と話すると、私は若くなりましたね。それから、私は大学でて、いい先生になりたいでした。私が勉強して、疲れるとき、あのけいけんはいつもかんしょうから、とても大切のけいけんですね。

なつやすみ。。。

夏休みはいっか月の後ですね。三か月ですから、いろいろな用事をしたいです。でも、六月から七月まで日本で日本語の勉強にいかなければなりませんですから、いっか月だけ私のうちですえます。

来月は石川へいって、日本人のうちですんで、友達と日本のクラスがあります。日本人とすんでから、自弁で日本の文化がわかれます。host familyにいろいろで、美味しい食べ物をつくってもらいますから、とても楽しいですね。そして、休みに有名な町へいけます。

それから、中国へ帰ります。今とても家族を出しますから、早く両親にあいます。