Sunday, October 25, 2009

一番ドキドキした話

最近で一番ドキドキしたこと:今学期、TAだから、コロビア大学で大学生に中国文明を教えてあげることがある。初めに英語で教えるばかりじゃなくて、外国人の大学生に教える経験がなかったから、初めのクラス、授業料はうちに忘れて、クラスに遅れてしまったんなので、学生に会って、とても緊張して、恥ずかしいことだった。

今まで一番ドキドキしたこと:この夏、日本に日本語の勉強に行った、ホームーステイをしなきゃならなかった。一度も自分のうち以外、他の人のうちにそんな長い時間で住んでなかったので、今大人だから、ぜんぜん知らなくて、日本語だけ使う日本人に会って、二ヶ月一緒に住んでいることはちょっと怖いと思った。どうしたらいいかはちょっと分からなかったから、心配していたとき、ドキドキしたということがあった。

Thursday, October 22, 2009

日本の夏、いつも忘れられない。。。

今年の夏、PIIで、二ヶ月金沢で日本語の勉強をしてに過ごした。時間があまりたっていないから、あれから三ヶ月過ごして、何度も、何度も思い出した。時々、日本語の授業中、先生が話しているとき、お母さんやお父さんや金沢で日本語の先生や近所の人などの音を聞いていたという幻覚があった。つまり、日本を去ってから、日本語も、日本文化も、長い間知っている友達の様になった。今はまだ日本語が上手じゃないが、中国語と同じように親しいと思うようになった。

日本で色々面白くて、深く感じしたことが多すぎるから、こんな短い文では書けないと思う。けれど、いつまでも忘れられないため、二、三の事を書いて、うれしくなることができるんじゃないだろうか?

私が一番思い出す人はホストーファミリーのお母さんとお父さんだ。一緒に小松に住んでいた。小松はとても小さい町だが、とても静かできれいだ。お母さんとお父さんは特別に大きく、きれいで、庭と野菜園があるうちがある。お母さんとお父さんは一階の畳の部屋で寝ていたが、私は二階の少し小さい部屋で寝ていた。毎朝、7時に一階の台所からお母さんが焼くパンの香りが部屋に入ってきて、お母さんが起こしてもらた。「おはよう」と言って、テレビを見ながら、朝ごはんをいただいた。犬たちも私たちの足の近くで、パンを待っていたように座った。私は金沢で授業があるので、毎日金沢に行かなきゃならなかった。だから、毎日自転車で二十分、電車で三十五分かけていっていた。ちょっと大変だったけど、私は楽しいと思っていた。毎日自転車に乗って、ある小学校を通過しなきゃならなくて、交通を無料に手伝っていたおじいさんに「おはようございます」と言って、感じが一番よくなった。そして、やさしい風が振って、色々な景色を見ながら、駅に行くのが楽しみになっていた。

午後6時くらいに、うちに帰ることがあた。庭のドアの近くにつくと、犬たちは大きな声でほえていた。うちに入って、お母さんとお父さんがうちにいなくても、「ただいま」と言うと、気分がとてもよかった。毎晩お母さんはとても忙しいから、仕事がおそく終わって、急いでうちに晩御飯を作りに帰ってきた。時間があったら、私はいつもお母さんと一緒に晩御飯を作っていた。その日にあった面白いことや、授業のこと、ぜんぜん大切じゃないことについても、よく話していた。日本の料理はとてもおいしくて、作るのはそんな速いのを見て、ちょっとびっくりした。お父さんが戻った後で、三人で朝ごはんと同じように、テレビを見ながら、晩ごはんをいただいた。みんなにとって、一日の中で、一番暇な時間だから、自由に話すことができた。一番楽しかったから、いつまでも続ければ、よかったと思た。

全部は瑣末なことだから、たぶんほかの人にとってはそんなに何度も、何度も思い出し、書くことはちょっと不必要だと思う。でも、私にとって、今のように毎日忙しすぎるが、そんな記憶を持って、ずっと進むことができる。

Tuesday, October 13, 2009

私にとって、携帯電話。。。

八年前に、たくさんの友達に似て、携帯電話を初めて使った。誕生日に、父に初めの携帯電話をもらって、とてもうれしかった。何人にも電話番号を聞いて、携帯電話に入れて、用事があるときも、ないときも、コールをした。あの時、携帯電話は現在より少ないので、電話料がちょっと高くて、短い情報の方がいいと思った。私の町以外の大学で勉強したが、いつでも、両親にも、友達にも、連絡することができるから、とても便利だと思った。

しかし、連絡するのがやさしくなったのに対して、携帯電話を使って、ちょっと話しにくそうに、私の生活が変わった。まず、携帯電話を持って、誰かに思う出すとき、番号を入れて、音が聞こえると、楽しむだった。でも、電話をかけやすくなると、かえって思う出すことが少なくなった。手紙をだんだん書かなかったし、人々に会う機会も減った。そして、短い情報は安くて、早いから、いくらでも送ることができた。何か言いにくいとき、短い情報はとても役に立つと思った。特に、恋人にとって、こんなことがあった。と言うのは、会うのがなくて、あまり緊張しなくて、たいてい話しにくいことが書けると思った。よかったかな。。。けれでも、あんなに短い情報を使って、だんだんつまらなかったと思った。と言うのは、時間がとてもかかったし、よく遠回しに言ったし、ほんとうに思った通り話せなかったから、疲れた。

ですから、あんな考え方を持って、私は一年に電話をぜんぜん使わなかった。生活はよく静かになって、少し寂しいが、ほんとうに気持ちがよくなった。

今はね、まだ携帯電話を使っているが、両親に、すごし親しい友達にだけかけるから、大丈夫だと思う。携帯電話について、私はちょっと変な考え方があるかどうか自分は分からない。でも、自分は楽しむのために、どうな風に携帯電話を使うのは自分が決めることでもある。それから、携帯電話でも、インターネトでも、私たちの生活に入って、深い影響を造成して、色々な変わったことがあるが、いつまでも変わらなくて、大切なことでもあるかも知れないね。

Monday, October 5, 2009

ことわざしよう~~

1.ことわざ「才子、才に倒れる」

2.読み方「さいし、さいにたおれる」

3.意味
そのまま:自分の知識に自信を持ちすぎてかえって失敗することです。

自分の言葉で言い換え:
頭がいい、たいてい他の人よりいい人だから、才子と思う。だから、自分は才を持って、何でもできると思うと、自信が一番持ちそうだ。それから、ことは思ったより難しそうだし、他の人の意見を聞かないし、他の人知らなくて、自分の方法だけ正しいと思うので、失敗することだ。成功のために、いくら頭がよくても、自分の知識を良く使って考えて、謙虚にするようにと言うとき、このことわざを使うかもしれない。と言うのは、人なら、自分はあまり知らないことには、よくしていることにより間違えやすいと言う考えることがある。

4.中国語のことわざでは、そんな意味の言葉もあると思います。「聪明反被聪明误」と言うことわざです。今、英語でも、日本語でも、このことわざを翻訳してみるよ。英語では、a smart person usually tends to fall down at his smartness. 日本語では、聡明な人はたいてい自分の聡明さに自信を持ちすぎて、かえって失敗すると言うことです。

この一つことわざは、日本語の中でも、中国語の中でも、言葉と意味がだいだい同じだ。人なら、同じな経験か問題か会って、同じな考え方もあると思う、面白いと思うよ。