今年の夏、PIIで、二ヶ月金沢で日本語の勉強をしてに過ごした。時間があまりたっていないから、あれから三ヶ月過ごして、何度も、何度も思い出した。時々、日本語の授業中、先生が話しているとき、お母さんやお父さんや金沢で日本語の先生や近所の人などの音を聞いていたという幻覚があった。つまり、日本を去ってから、日本語も、日本文化も、長い間知っている友達の様になった。今はまだ日本語が上手じゃないが、中国語と同じように親しいと思うようになった。
日本で色々面白くて、深く感じしたことが多すぎるから、こんな短い文では書けないと思う。けれど、いつまでも忘れられないため、二、三の事を書いて、うれしくなることができるんじゃないだろうか?
私が一番思い出す人はホストーファミリーのお母さんとお父さんだ。一緒に小松に住んでいた。小松はとても小さい町だが、とても静かできれいだ。お母さんとお父さんは特別に大きく、きれいで、庭と野菜園があるうちがある。お母さんとお父さんは一階の畳の部屋で寝ていたが、私は二階の少し小さい部屋で寝ていた。毎朝、7時に一階の台所からお母さんが焼くパンの香りが部屋に入ってきて、お母さんが起こしてもらた。「おはよう」と言って、テレビを見ながら、朝ごはんをいただいた。犬たちも私たちの足の近くで、パンを待っていたように座った。私は金沢で授業があるので、毎日金沢に行かなきゃならなかった。だから、毎日自転車で二十分、電車で三十五分かけていっていた。ちょっと大変だったけど、私は楽しいと思っていた。毎日自転車に乗って、ある小学校を通過しなきゃならなくて、交通を無料に手伝っていたおじいさんに「おはようございます」と言って、感じが一番よくなった。そして、やさしい風が振って、色々な景色を見ながら、駅に行くのが楽しみになっていた。
午後6時くらいに、うちに帰ることがあた。庭のドアの近くにつくと、犬たちは大きな声でほえていた。うちに入って、お母さんとお父さんがうちにいなくても、「ただいま」と言うと、気分がとてもよかった。毎晩お母さんはとても忙しいから、仕事がおそく終わって、急いでうちに晩御飯を作りに帰ってきた。時間があったら、私はいつもお母さんと一緒に晩御飯を作っていた。その日にあった面白いことや、授業のこと、ぜんぜん大切じゃないことについても、よく話していた。日本の料理はとてもおいしくて、作るのはそんな速いのを見て、ちょっとびっくりした。お父さんが戻った後で、三人で朝ごはんと同じように、テレビを見ながら、晩ごはんをいただいた。みんなにとって、一日の中で、一番暇な時間だから、自由に話すことができた。一番楽しかったから、いつまでも続ければ、よかったと思た。
全部は瑣末なことだから、たぶんほかの人にとってはそんなに何度も、何度も思い出し、書くことはちょっと不必要だと思う。でも、私にとって、今のように毎日忙しすぎるが、そんな記憶を持って、ずっと進むことができる。
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1 comment:
短い間にたくさんいい思い出を作って帰ってきたんだなぁということが分かります。その思い出を大切にしていってくださいねー。
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